清和源氏高祖
多田満仲公年譜
- 醍醐天皇 延喜12年 1才
- 母、藤原敦有の女、父は源経基公なり、母夢に不動明王の利剣を呑むと見て懐妊13ヶ月にて4月10日京都にて誕生幼名を明王丸と呼ぶ。
- 醍醐天皇 延長元年 12才
- 八幡大菩薩と夢に和歌の応酬あり、 多田乃宇留於宇水屋草濃雨人中君濃御世葉万才
明王丸の返歌に曰く。 水草濃雨乃恵濃布加幾由江人葉中々君伊於宇春
- 醍醐天皇 延長4年 15才
- 元服して左馬亮満仲と呼ぶ。
- 醍醐天皇 延長6年 17才
- 満仲弓矢馬術に達人となる。
- 朱雀天皇 承平4年 24才
- 父経基、源姓を賜り平将門叛乱討伐に同行す。此の時の自像を晩年自ら彫刻現在多田神社に御神躰として崇められる。
- 朱雀天皇 天慶2年 29才
- 経基公と共に西海に叛乱せる藤原純友の討伐に向ひて軍功あり。
- 朱雀天皇 天慶3年 30才
- 平将門の乱平らぐ。
- 朱雀天皇 天慶4年 31才
- 藤原純友の乱平らぐ。
- 村上天皇 天暦4年 38才
- 長男満正生る。
- 村上天皇 天暦7年 41才
- 次男源頼光生る。
- 村上天皇 天徳元年 46才
- 嵯峨野行幸雲上に朔る雁を射落し御感あり、村上天皇より弓矢の達人として賞讃さる。
- 村上天皇 応和元年 50才
- 武門の棟梁とすとの勅諚を賜ふ。
- 村上天皇 康保2年 54才
- 戸隠山に鬼神住みて牛馬六畜を殺生すとて勅命を受けて之を退治す、鬼人の首を携へ帰って叡覧に供し其功により正四位下を賜る。
- 村上天皇 康保5年 57才
- 藤原仲光以下千人の供を従へて住吉神社に27日間参籠紺紙金泥の写経、黄金作りの太刀一振上箭二筋神馬三匹其の他多大の寄進あり、此の時神前にて和歌一首。
松蔭の波に浮べる月までも深きや頼む住吉の神
神箭と神託により沼沢地を開拓し新田城を造る。此処に九頭の大蛇を射殺し湖水乾涸多田荘72邑となる。
- 冷泉天皇 安和2年 58才
- 源高明の叛逆を未然に鎮圧せる功により鎮守府将軍左馬頭となる。源高明の庶子清原明忠復讐暗殺を企てしも満仲公の威厳と渡辺綱の武勇によりて果さず、更に其の年11月20日には公卿某を語らひて奸策を講じて讒訴す。
即日処刑の計ならず源俊朝臣に御預けの身となる。頼光急変を聞いて鎌倉より西下途上病に臥し妾照日の上、父平吉秀に欺むかれ搦め取られる照日の上驚き悲しみ自刃して頼光に己れの潔白を示す。しかも此の危急の際互に和歌を応酬せる挿話あり。頼光、卜部季武に救はれ又足柄峠にて坂田金時、碓井貞光、渡辺綱等に守られ京都に入る時既に清原明忠の謀略罪科露見して遠島の流刑となり満仲公は勅勘を宥され帝都守護の重任変りなく世に智仁勇兼備の忠臣として賞讃の的となる。
- 円融天皇 天禄元年 59才
- 満仲公心機一転して無常観より顕職を辞し、頼光大門の守護職となる。満仲公多田に退隠、出家の御暇を奏請せしも許されず、これがため四男美女丸を出家せしむ。
- 円融天皇 天禄2年 60才
- 多田銀山を採鉱す。
- 円融天皇 天延元年 62才
- 満仲公変装(身を貧賤に)して下情を視察し貧民鰥寡孤独を救恤し金銭、米帛を与へて仁政を施す、満仲公の和歌勅選せられて拾遺抄に入る。
清原元輔送別の一首なり
君はよし行末遠くとまる身の まつほど如何あらんとすらん
兵庫に新宅を造る。多田銀山より家臣二人銀箔を持参す。
- 円融天皇 天延2年 63才
- 頼信生る。母は大納言元方の女也。
- 円融天皇 元貞元年 65才
- 慧心僧都より法号「満慶」を受く満仲分57才の頃より仏教信仰最も篤く日課に法華経を誦し名号二万遍を唱ふと曰ふ。
- 円融天皇 天元3年 70才
- 多田院建立、落慶式壮厳豪華を極め阿弥陀堂、釈迦堂、不動堂、僧堂、庫裡、鐘楼万丈廊下山門総門尽く成る。釈迦堂に満仲作、釈迦立像。頼光作、文珠菩薩。頼親作、普賢菩薩あり又、頼信作の四天王(増長天、広目天、多聞天、持国天)を安置す。
- 花山天皇 寛和2年 76才
- 6月23日花山天皇元慶寺へ密に御脱出さるるを宮中より守護奉る。8月15日満仲公受戒剃髪、翌日奥方も剃髪せられ仏如尼公と云ふ。8月16日老臣近習12人一時に髪を切る、奥方近侍の女房達も一同髪を切って御弟子となる、8月17日満仲法華三昧院に移り給ふ。花山法皇多田院に臨幸、旬日御滞在あり御法名の一字を贈りて覚信と称す。
- 一条天皇 永延元年 77才
- 藤原兼家新邸を京極に営み、盛宴を張る、満仲頼光公に命じて馬30頭を索かせて客に頒たしむ藤原氏との友情亦かく親密なりき。
- 一条天皇 正暦元年 80才
- 平将門の子能門多田城を攻めて成らず、怖れて退却し兵庫にて頼光の追討に仆る。
- 一条天皇 長徳3年 86才
- 源家末孫、四海の貴賎を擁護す、源家の安危は当院の盛衰によるべし、又曰く吾没後神を此の地に留め弓箭の家を護るべし、加之当院の鳴動を以て四海の安危を知るべしと宣ひて丁酉歳8月27日無病端身正念合掌して薨去せられる。此の時天楽空に響き異香四方に薫ぜりと伝ふ。
- 後土御門天皇 文明4年
- 足利義政の時勅により従二位を賜ふ。
- 東山天皇 元禄9年
- 徳川綱吉の時贈正一位多田大権現の神号を賜ふ。